はじめまして!
プロフィールのページをご覧いただき、ありがとうございます。
管理人の香井香(カイカ)と申します。
読み方はなんとなく昔のCMで、
「上から読んでもやまもとやま。下から読んでもやまもとやま。」
とやっていたのを思い出したのが耳から離れず、上から読んでも下から読んでも同じにしました。
自己紹介、長くなりますが、お付き合いいただけましたら嬉しいです!
目次
繊細でバカ真面目が引き寄せるトラブル
どうして私は同じような人間関係のトラブルを繰り返すのだろう。
生き辛さが常につきまとう人生。
ざっと思い返せば、
- 物心ついた頃、幼馴染数名に「バーカ」と言われただけで泣いたために、その後、いじめ(からかわれる)対象になった。毎日泣かされていた。
- 小学5年生の担任に陰湿ないじめを受けた。
- 中学1年生の頃、クラスのほとんどの男子に無視され、男性恐怖症になった。(授業中、男子に集団でいじめられていた先生がかわいそうと、女子数名で職員室の担任に報告。その様子に探りを入れていたイジメ男子生徒の一人が「カイカが密告したぞー!」と、なぜか私だけが密告者扱いを受け、リーダー格の男子生徒が「ムカつく。みんな無視しろ。」と言ったのを皮切りに、無視や聞こえるように悪口を言われた。)
- 大学受験失敗し、浪人時代からつるんでいた友人に振り回され続けること約6年間、メールでの言いがかり攻撃に積もり積もった怒りが爆発。人生で初めて自分から人との縁を切ったが、そんな自分は器が小さい人間だと罪悪感に苛まれる。
- あるファンサイトで知り合った女性から個人的にメールや手紙でやり取りがしたいと言われ交流を深めたものの、実は誹謗中傷されていた。(後にその人がメンタル疾患で通院し、色々問題を起こしていたのを知る。)
- 社会人になっても、だいたいの職場で攻撃のターゲットになっていた。
という感じで、人間関係の悩みは尽きませんでした。
今でこそ、淡々と昔話として話せますが、人間関係のトラブルの渦中は、決まって体調不良に見舞われ、うつ病になったこともありました。
心療内科でトータル約2年のカウンセリングを受け、だいぶ生きやすくなれたものの、時折顔を見せる焦燥感や孤独感、不安感や罪悪感など、度々悩む日は訪れます。
しかし、2019年に初めて知ったHSP(Highly Sensitive Person/繊細で敏感な人)という概念に、自分の生き辛さの根本がそれであると知り、救われたのでした。
これからお話しすることは、私がHSPだと知って心が楽になるまでのお話になります。
あなたが過去の私と同じように悩んでいらっしゃいましたら、この話が少しでもお役に立てましたら嬉しいです。
生い立ち① 人生初の人間関係トラブル
昭和バブル真っ盛りの時代、大きな団地に響く子供たちの遊び声。
私が生まれ育ったのも大型団地でした。
思い返せば、最初の人間関係のつまづきは、4~5名の幼馴染からでした。
何がきっかけで、どうしてそうなったのかは思い出せないのですが、薄っすらと残る記憶には、幼馴染たちに囲まれて、
「バーカ!」
と言われている場面です。
私は悲しくて悲しくて、数秒後には大声で泣いていました。
あっけなく泣いた私の様子が面白かったのか、それがきっかけで、毎日1回は泣かされていたように思います。古い記憶なので、もしかしたら少し誇張されているかもしれないけれど、私にとっては「幼馴染」というキーワードを耳にすると、「毎日泣かされていた。」という言葉しか浮かびません。
大きくなってから、
「私って幼馴染によくいじめられていたよね。」
と母に言うと、
「毎日、団地中にあんたの泣き声が響き渡っていたよー。」
と言われました。
というようなこともあって、とにかく子供の頃から自己肯定感が低く、なんとか事務員として社会に出たものの、会社でのいじめもあり、将来への不安が常につきまとうようになります。
生い立ち② 自分探しの旅路
特にやりたいことも見つからず、何となく就職して社会人生活を送っていたものの、漠然と思っていた、
「母が結婚した年齢の25才で自分も結婚したい!」
の願望叶わず、この先の人生どうしよう・・・と思うが、いざ考えても自分が何をやりたいのか全然わからない。(焦)
私って、好きなことは何だったっけ?
とにかく、思い出したことを一つずつ行動してみることにしました。
◎ピアノを習っていた ⇓ 音楽の先生になりたかった ⇓ のど自慢に出てみよう(謎) ⇓ 予選落選(笑) |
◎盲導犬に惹かれる ⇓ 盲導犬と関わることをやりたいかもしれない ⇓ 北海道の盲導犬協会に行ってみる ⇓ 北海道で仕事をしながらボランティアとして生きていくにも、そこまで需要がない現実を知る ⇓ 盲導犬と関わる機会がそんなにないのに、今ある仕事を投げうってでも北海道で生きていく覚悟がある? ⇓ 無理かも ⇓ 断念 |
◎小学生の頃から人の笑顔の写真を撮るのが好きだった ⇓ 写真業界で生きてみよう ⇓ ブライダルフォトもやっている写真館にアルバイトで就職(これだ!と思った) |
今まで事務職で生きてきた私が、自分探しの最終旅路として、まったくの別世界である写真業界に足を踏み入れてみることにしたのでした。
29歳での決断でした。
生い立ち③ 理想と現実のはざまで
現実は過重労働の割に収入が少なく、当時はデジカメが出始めの頃で高級だったため、まだネガフィルムが主流の時代。プライベートで練習も兼ねて撮る写真の現像代もバカにならず、貯金を切り崩すことになります。
経済的に苦しく、人間関係も複雑になり1年ほどで退職。
好きなことで生きていく。
強い想いで事務職から写真の世界へ。
でも好きなはずの写真なのに、日に日に気持ちは沈んでいく。こんなはずじゃなかったのに、という思い。
子供写真館スタジオに配属された私は、アシスタントとして付いた女性の先輩カメラマンに理不尽なイジメを受けました。
高圧的なその先輩は、以前にも人を攻撃していた前科があったらしく、自信のなさからくるオドオドした態度の私は格好の餌食になりました。
お客さんの前でヒステリックに怒鳴られ、焦ってドタバタしている私に、
「だから焦るなって言ってるでしょっ!」
と追い打ちをかける。
さらに焦る私は、ますますパニック状態に。
それを見かねた他の先輩が上司に相談してくれ、私は「上司預かり」という形で、その高圧的な女性カメラマンから距離を置くことが多くなりましたが、それも束の間の平和。
ブライダルの出張カメラマン希望だった私は、腕の良かったその上司に必死に食らいついてスキルを身につけようと無我夢中でした。
しかし、今度はがむしゃらに上司(男性)に付いている姿が誤解を受け仇となり、助け舟を出してくれた先輩も含め、他の女性カメラマンからもやっかみ半分で噂されるようになり、誤送信で私の文句が書かれたメールが送られてくることもありました。
悪いことは続き、お客として来た身内が会社とトラブルになり、肩身の狭い思いから退職の道を選びました。それが大きなきっかけとなり、うつ病を発症。カウンセリングを受けることになりました。
私は精神的に弱いと他人から思われることに、ものすごく抵抗を感じながら生きていました。
思い返せば、中学生の頃に男子生徒からいじめを受け、学校を休みがちだった私は、病院で自律神経失調症と言われましたが、「自分はそんな弱い人間じゃない!」と頑なに否定し、処方された薬も飲みませんでした。
しかし、もう30才になっていたこの時ばかりは、自分から心療内科を受診しないとマズイと思ったのです。
その理由は、突発的な自殺未遂でした。
治療は主にカウンセリングで、認知行動療法により「認知のゆがみ(偏った思考のクセ)」を修正していく作業をしました。
自分と向き合う作業はなかなかしんどかったのですが、良いカウンセラーに出逢い、逃げ出さずに続けることができました。
生い立ち④ 人生の立て直し
好きなことで生きていくと決めて入った写真業界を去り、事務職のパートをしながらうつ病治療の通院をする中で、今後の生き方を2つの選択に絞ることにしました。
1つは、フリーランスのフォトグラファーとして生きる道。
もう1つは、生活していく為のお金は他の仕事で稼ぐと割り切って、写真はライフワークとして続けること。
私が決めた答えは、後者でした。
結果的に写真の世界で食べていくことはできませんでしたが、思い切って行動したことによって、商業写真と自分の好きな写真は違うとわかり、後悔はありません。
事務職の正社員で雇用され、生活費を安定させると、タイミングよく新設された写真講座を受講することにしました。
生い立ち⑤ 少しずつ叶えていく目標で自信をつけていく
写真講座での最終目標として、受講生全員で写真展を開くことになりました。
「撮りたいものがわからない。」
そういう私に、先生は、
「わからなくていい。撮っていく中でテーマが決まるもの。」
と私を諭しました。
そして卒業の最終課題であるグループ展が決まり、先生からテーマが与えられ、こうなったらやるしかない、と訳も分からず撮ることにしました。
先生に助けられながらも、どうにか作品として形にすることができました。
「自分なんかでもできるんだ。」
という達成感が、少しずつ自信へと繋がっていくのを実感しました。
生い立ち⑥ 最後の賭けで、人間関係トラブルの原因を悟る
自分の好きなことを実行することで、少しずつ自己肯定感を上げてはいたけれど、人間関係のトラブルは相変わらず繰り返していました。
30代前半の頃、職場に新しく来た3歳上の女性は、今でいうマウントをとる人物。
第一印象で、何となく危険を感じたものの、笑顔で物腰の柔らかい立ち居振る舞いの女性。
私は子供の頃から、第一印象で、
「何だかこの人は胸がザワザワする。」
と思ってしまうことを、
(そんな考えをする自分は人としての器が小さい。何て情けないんだ。悪だ。)
と考えていたので、合わないと感じた人ほど、仲良くならないといけない、と思っていました(認知のゆがみ)。今考えれば、それが人間関係のトラブルの元だったのですが、本当にそう思い込んでしまっていたので、気づけずにいました。
この3歳上の女性に対して感じた感触。私はここで最後の賭けに出ました。
第一印象では、危険と感じた人。
頭では仲良くなった方がいいと思う人。
これを最後に、自分の感は置いておき、頭で考えた「仲良くなる」を実行して、どうなるかを見届けよう、と思いました。
その結果、この女性はマウントだけではなく、カバートアグレッション(良い人のふりをして裏切る人)の要注意人物でした。
当時、好意を持っていた男性社員がいて、そのことを私から聞き出した彼女は男性に近づき、毎日イチャついている姿を見せつけられました。
おそらくひきつった表情であろう私に、
「私には彼氏もいるし、別に特別どうこうないんだけど、あっちから話しかけてくるんだよねー。本当に別に何でもないからね!」
と言っていた彼女の顔は、今思い出すとめちゃくちゃ勝ち誇った顔でした。笑
しかし、これではっきりと自分が感じたその人への第一印象を信頼すべきとわかりました。
ただ、彼女と仲良くしたかった気持ちは本当だったので、心底傷つきはしましたが、もう二度と同じような人間に振り回されないと心に誓い、気持ちの切り替えをしました。
延々とマウントを取ってくる彼女にはなるべく目を向けず、話しかけられても敵意は出さずに、距離を取るようにしました。
よりプライベートの時間を大切にすることに集中し、人の紹介で出逢った男性とスムーズに結婚が決まりました。それが今の夫です。
会社ではお付き合いしている人のことなど、プライベートのことは一切口にしないようにしていたので、社内会議の際に結婚報告をした時の彼女の驚きの表情は忘れられません。
「私の方がいい女」というマウントがすごかったので、バカにしていた私が先に結婚したことは許せなかったのでしょう。ある意味、最大の復讐になったのかもしれません。
結婚後、しばらくして退職することになったので、このカバートアグレッション女性と縁が切れて本当によかったです。
ちなみに、その後、彼女はその男性社員と結婚したようなので、人をコントロールするのに長けている人間とは恐ろしいや・・・と思いました。
生い立ち⑦ より生きやすい人生の開拓
夫と出逢い、それまで繰り返してきた人間関係のトラブルで人間不信に陥っていた私でしたが、「世の中、良い人間っているんだ。」という当たり前のことを思い出させてくれました。
私と違ってマイペースな夫には、私の偏った考えを改めるきっかけをたくさんもらい、感謝しています。性格が違い過ぎてケンカになることもありますが。笑
結婚後1~2年は、たまに心療内科に行くことがありましたが、お守り代わりに持ち歩いていた抗不安薬をちゃんと止められたのは、夫の存在が大きかったです。メンタル面での通院も必要なくなりました。
そして2019年、私はHSP(Highly Sensitive Person/繊細で敏感な人)という概念を知り、自分の生き辛さの根本を知ることで、本当に心が救われました。
HSPの気質だから、基本的に考えすぎになったり、不安に駆られたりするのが当たり前だと受け入れると、「自分はいつまでも成長できないダメな人間だ。」と思わなくてすむようになりました。
メンタルの不調が、身体的な体調不良を起こすため、小さい頃から見た目は健康そうなのに貧弱とか怠け者と言われ、自分でもダメな人間と思っていました。
しかし、今はメンタルを整えることで、体の調子も良く、色々なことを楽しめて生きています。
正直、HSP気質は面倒くさいと思うこともあります。
でも、その特性を生かせれば、すごく満ち足りた人生を味わえるということに気づきました。
音楽を聴いていても、目をつぶって風を感じるだけでも、自分好みの香りに包まれているだけで心から感動できるのも、すごくラッキーだと思います。
HSPの特徴を知れば、苦手なこと、嫌なことに出くわす機会を減らすことができます。
敏感すぎて疲れてしまうことにフォーカスするよりも、敏感ゆえに感じ取れる幸せな気持ち、優しくなれる心のゆとりを備えられるように練習していけば、今まで損ばかりしてきたと思っていた人生を何倍も取り戻せると思っています。
このブログで私があなたに伝えたいこと
生きづらさを感じると、原因が知りたくて、何かしら理由を欲しがる傾向が強くなっているように感じます。
確かに原因を知ることができればそれを手掛かりに、自分にあった生き方を模索しやすくなり、心が軽くなれるかもしれません。
しかし、自分が何にフォーカスするかによって結果は変わってきます。
私自身、HSP気質があると認識しており、経験談として文章を書き綴っていますが、たまに
「HSPだから」
を盾に問題から目を背けそうになることがあります。
そんな時は、一番の目的が、
「生きづらさを改善する」
ということを思い出し、そこに意識を持っていけるよう軌道修正ができるようになりました。
HSPの概念が独り歩きして違和感を覚えるネット記事なども見かけることがありますが、自分自身の軸をしっかり保ち、情報に振り回されないことが肝心だと思います。
いわゆる平均的より少し敏感な感性がある故、神経質などと取られやすく、それに対し心ないことを言われ傷ついた経験もきっとあるでしょう。
しかし、HSPという気質を持っている、というのは生まれ持った才能とも言えます。
その特性を理解することで、抱えている生きづらさを少しでも楽にするためのヒントとして受け入れていければ、少しずつ見えてくる景色も変わるのではないかと思います。
人それぞれ、合うやり方は違いますが、私の経験談が少しでもお役に立てれば嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!