しばらく手が止まっていたファブリー病関連の記事。
患者である夫の協力なしでは、きちんとした記録を残せないので、ちゃんとお願いしないとなぁと思いつつ、なかなか話せていませんでした。
先日、やっと依頼したところ、早速書き始めてくれたとのこと。さすが夫さん。仕事が早い。
通院する中で、どんな検査、結果だったか等の箇条書き程度でいいよ、と伝えていたのですが、最初に「見てみて。」と言われた内容に、思わず涙が出ました。
今回は、その内容をほとんどそのまま記載いたします。
スポンサーリンク
ファブリー病と診断される
ある人との出会い(奥さん)により状況が変わった。
自分は完全に諦めていたが、奥さんが自分の症状を見て、何かの病気ではないか?と色々調べてくれた。
そして、自分の症状と似ている症状の病気の存在にたどり着き、東京のある病院の医師に電話で聞いてくれたのだ。
その医師にファブリー病の可能性があるとの指摘を受け、地元の大きい病院での検査を勧められたとの事。
その後、大学病院を受診。ファブリー病かもしれないから検査してくれと伝え、いくつかの検査を経て、ファブリー病と診断された。38歳の時だった。
治療開始
ファブリー病は治る病気ではない。2週間に1度、2時間の点滴を受ける治療しかない。
医学の進歩はあるかもしれないが、今の所、一生点滴を受け続けるしかない。
治療(点滴)を受けなければ、いずれ脳疾患、腎疾患などになりえる。ハンディを背負ったようでいい気分ではない。
だが、それよりも、今まで、病気なのか、単なる体質なのか、全く意味不明だったのが、はっきりと病名がついた事にホッとした。
あー病気だったんだ、と38年間のモヤモヤが消えた。
遺伝性の病気
ファブリー病は遺伝性の病気で、男から男へは遺伝しない。
自分が罹患者という事は、母親が保因者であった可能性があるが、母親は中学の時に亡くなっており、確かめられない。
ただ、母親がそのような症状があった記憶はなく、恐らく発症しなかったのだと思う。
祖母もそのような話はしてなかった。祖父は戦争で亡くなったらしい。突然変異でなければ、母方の祖父⇒母⇒自分、妹と遺伝したと思われる。
もうひとつ言えるのは、自分から息子へは遺伝していないという事だ。
つまり息子は同じつらさを味わう事はない。安堵した。
こんなつらさを味わう息子を見ていられない。
つらさを知っているだけに余計そうだろう。
仮に病気だとしても自分の時とは違い若い内から治療(点滴)を始められるだろうが、どの程度効果があるかはわからない。
自分の代だけでこの病気を断ち切れるのは不幸中の幸いである。
病気発覚後の想い
38歳にして人生が大きく変わったが、これも奥さんのお陰である。
奥さんがいなければ、治療を受ける事がないどころか、病気である事すら知らずに、病に侵され、命を落としていたかもしれない。
恐らく短い寿命だっただろう。
命の恩人である。
妹の事も救ってくれた。
本当にありがとう。
スポンサーリンク
かけがえのない家族
以上が私の依頼に応えるべく、夫が最初に書き綴ってくれた文章です。
最後に、私への感謝の言葉が綴られているのを読んで、涙が出ました。
夫は、症状が出てから診断されるまでに、何ヶ所も病院をまわり、検査の結果「特に異状は認められない。」という答えばかりで、病院不信になっていました。
それでも私の話に耳を傾けてくれ、大学病院を受診してくれました。
病名が確定した時はショックではありましたが、私たち家族の絆は、より一層強くなりました。
完治する病気ではないので、落ち込む気持ちは当然あったでしょうが、生涯続く2週間に1回の点滴治療に後ろ向きではなく、ファブリー病診断後も以前と変わらない芯の強い一家の大黒柱です。
私の方こそ、いつも家族を守ってくれてありがとう、の気持ちなのです。