みなさんは、自分の考えている自分像と、他人の評価にギャップを感じたことがありますか?
実は先日、およそ30年ぶりに小学校の恩師とそのクラスメイト数名で集まったのですが、そこで、驚くほど鮮明に私たちの想い出を話す先生の口から出た言葉に、
「え?先生、私のことをそう思ってたの?」
と、思うような意外な私の印象と、その核心をつく言葉に、さすが先生だ・・・と驚きました。
そして、自分で思い込んでいた自分像と、本当の自分とは何なんだろう?と長年悩んでいたのが、ありのままの自分で生きていけばいいのか、というのをやっと心から悟れた気分でした。
さて、その内容はどうだったのかを書いていきます。
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私の思う子供の頃の自分像
自分で言うのも何なんですが、私の幼少から小学校の頃までのイメージとしては、天真爛漫という表現が合っているのかなと思っていました。他には、
- 真面目
- 正義感が強い
- 明るい
- 初対面でもすぐ人と打ち解けられる
- 人当たりがいい
- ムードメーカー
- いつも笑顔
- 気を遣う
- 優柔不断
- 群れるのが苦手
という感じです。
おそらく、クラスメイトが思う私のだいたいの印象は、明るい、真面目、人当たりがいい、あたりなのかな?と思っています。
恩師の語った私の小学生の頃の印象
先生は今年67才になると仰っていましたが、退職後も頼まれて時間給で教員を続けている現役教師でした。
でも約30年ぶりにお会いした先生は、白髪頭のすっかりおじいちゃん先生になっていました。
私は本当に先生のことが大好きで、というより、クラスメイトのみんな、先生のことが大好きだったのです。クマさんのような先生だったんですけどね。笑
小学校6年生の頃の担任だったのですが、卒業式には顔をくちゃくちゃにして涙を流していたのをよく覚えています。
他にも、学校の運動場でキャンプをやったり、プールで波を作る実験をしたり、家庭科の授業以外でバターを作ったり等々、教科書だけではない授業をしてくれて、それが楽しい想い出として私たちの心にしっかり刻まれています。
今だから話せる、と先生が言っていたのは、やっぱりそういうやり方をすると、
「なんだコイツは好き勝手にやりやがって!」
と文句を言う教員もいたようですが、先生は子供たちがどうやったら毎日「今日は学校で何があるのかな??」と心から楽しみに思ってもらえるか、というのを第一に考えていたということを話してくださいました。
意外だったのが、先生にとってもこのクラスが特別であったこと、それがそのあと30数年もの間、教師を続けてこられた原点であると仰っいました。
そして驚いたことに、私たち一人一人の当時の想い出、家庭環境、印象等をはっきりと話し始めたのです。
本質を見抜いていた恩師
子供の頃には知らなかった、当時のクラスメイトそれぞれの悩み。友人たちの口からその話が語られると、先生もよく覚えていて補足をつけてくださったり、話は尽きませんでした。
そして私のことについても先生が、ああだったね、こうだったね、と話し始めたのですが、
「カイカもちょっと変わった子だなーと思っていたんだよね。何ていうか・・・人の中にうまく入っていけなくてポツンとしてる感じもあったし。」
と話した時、
私自身も「えーーー、そうでしたかね??」と言いましたが、
クラスメイト達も、「え?そうかな?」と先生の言葉が意外、という反応でした。
先にも書いたように、私自身が思う私の子供の頃の大まかな印象は、明るいとか真面目とか、人見知りせずに人と話している、そんな感じだろうし、クラスメイトの反応を見ていても、そう思われていたんじゃないかな、と思うのです。
余談ですが、大人になって受けたビジネスマナーのクラスで「お互いの第一印象を書きだす」というものがあったのですが、そこでも笑顔が素敵、明るい、元気、思いやりがある、という言葉が並んでいました。(自分で書いてて恥ずかしいですが、これはビジネスクラスのお題でクラスメイトに書いていただいたものですので悪しからず・・・。汗)
でも、私は大人になるにつれて、人と会うのが怖くなったり、人前で目立つのが嫌だったり、何なら世捨て人になって山奥に引きこもっていたいと思う時期もありました。子供の頃はあんなに屈託なく人と話せて、ムードメーカーなところもあった私が、どうしてこんな風になっちゃんたんだろう?鬱病になったからかな?とか・・・。結構、本当の自分とは何ぞや?と思い悩むことが多かったのです。いや、今でもそれは頭の片隅にあったりするのです。
でも、恩師が語った私の印象は、
「ポツンとしていることがあった。」
それはまさしく核心をついた言葉でした。
子供の頃から時折感付いてはいたのです。
私は、この輪の中に入れているのだろうか?人に嫌われていないだろうか?仲良くなるにはどうしたらいいのだろうか・・・そんな風に心の中では自信がない一人ぼっちの寂しい私がいたのです。
そんな思いに自分で蓋をして、人当たりのいい自分であるのが当然と思い込んでいました。人と話している時は、沈黙が怖いから必死に話題を作る為に自分の失敗談などを引っ張り出して、人に笑ってもらうことで安心感を得ていました。
私はきっと無意識に、必死でそうやって人に好かれていたいと思っていたのです。もちろん、末っ子の甘えん坊で、人のことが大好きな私も本当の自分なのですが、根本にはそんな自信のなさからくる波に押しつぶされないように、無理をして人の顔色ばかりを見ていた生活を続けていたのです。
中学生の頃にはちょっとしたイジメに過敏に反応して、自律神経失調症と診断されたことがありましたが、きっとそういうところからの無理もたたったのでしょう。
先生の言葉を聞いて、ショックとかそういう負の感情は全然沸き起こりませんでした。むしろ、やっぱり先生は本質を見抜ける人で、その中で私たち一人一人と向き合ってきてくれたんだということに、感動しました。
そして、ハッとしたのです。
どんなに取り繕っても、見抜ける人には見抜かれるんだ。それだったら、ありのままの自分で生きた方が人生どんなに楽なんだろう、と。
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まとめ
この気づきから、私は自分で描いていた自分像が嘘の自分だったとは思いません。
それも本当の自分であり、恩師以外の方たちからいただいた明るく元気な第一印象の私も、私の一部なのだと思っています。
でも根本にある、自信がなかったり、時にポツンとするような雰囲気の私も愛すべき本来の自分の姿なのです。
私が苦しんできたのは、自分の思ってきていた自分像と、自分自身でも感じてきていた負のイメージの自分とのギャップでした。
でも今後は、時にはそんなポツンとした自分が出てきても、ギャップがあると思わずに、本来の自分を受け入れていけばいいだけのことなんだと、恩師の言葉に救われたのでした。