人との適切な距離感がわからないHSP。隠れ人見知り克服リハビリ中です。

HSP(Highly Sensitive Person/繊細で敏感な人)気質の管理人カイカの経験談を元に、人間関係についてのあれこれを語るシリーズ。

今日は、

人との距離感がわからない。

というお題で書き綴ろうと思います。

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大人になって認識した人との距離感の難しさ

仲良くなりたくて、好意的に笑顔で接しているのに、もの凄く距離を取られた・・・。

どうして距離を置かれてしまうんだろう・・・。

自分は人当たりがいいと思って生きてきたけど、本当はすごく気を遣い、他人軸で過ごしているだけだったと気づいたのは、30才の時に「抑うつ状態」と診断され、カウンセリングを受けるようになってからでした。

そんな自分を受け入れたのはいいのですが、今度は人との距離感が全然わからなくなりました。

今までの人間関係トラブルで受けた心の傷の多さに、人との関りが怖いと思いつつ、本当は人が好きな私です。

そんなジレンマを抱えていますが、隠れ人見知り克服すべく、人と繋がるリハビリ中です。

仕舞いこんでいた気持ちを書き綴り、心の整理をしようと思います。

初対面でフレンドリー過ぎていた?

いつだったか記憶が定かではないですが、確かアメトークで見た「人見知り芸人」回のオードリー若林さんの話で、


「初対面でぐいぐい来られると困る。」


みたいなことを聞いて、ショックを受けました。

なぜなら、たぶん私は初対面でぐいぐいタイプだったからです。(今は、人にどう思われるかが気になりすぎて、なるべく自分から発言したくない病ですが。笑)

それには理由があります。

私は「沈黙」が苦手なのです。

だから、沈黙に耐えられなくて、少ない引き出しから自分の話題をかき集めて話していました。

初対面や知り合ったばかりだと、なかなか共通の話題がない時の沈黙。

あれが私には恐怖だったのです。

少しでも早く人と仲良くなりたくて、距離感を一気に縮めようとグイグイいっちゃってた私に、きっと中には「ウザい!」と思う人もいたことでしょう。

うぅ、その時のことを思い返すだけで、なんだか心が痛い。苦笑

孤独感を覚える時のシチュエーション

例えば、クラス替え直後の緊張感ある場などは、最初の頃は重宝がられる存在でした。

その場の和ませ役で、自分は潤滑油に徹します。

そのうち一人、また一人とおしゃべりの輪が広がっていきます。

あぁ、良かった~、ピリピリ緊張感が和らいで良い雰囲気になってきたな、と思うのですが、月日が経つと、いつの間にか一人ポツン。

あれ?

なんかみんな、それぞれに仲良しさん見つけて、私のことあんまり相手にしてくれない・・・。

しょんぼり。

そうやって、あとから人見知りを発動させるのです。

相手に笑顔で接して欲しくて空回り

とにかく沈黙は軽く恐怖を覚えるくらい苦手に感じます。

相手には、なるべく笑顔でいて欲しいという思いがあるから、どうにか笑ってもらえるように、自分の失敗談なんかはネタにしまくりました。

しかし、それは人に笑顔であって欲しいという私のエゴからくる押しつけだったと、今は冷静に思います。

相手に笑顔で接してもらうことで自分を安心させるためのものだったのです。

でも、誰だって、疲れていたら笑顔になれないことだってあります。

それを、わけのわからない失敗談聞かされて、


「この人、無理やり笑わそうとしてる?」


と思ったら、ムカつく人がいても仕方なかっただろうな、と。

そんな単純なことに、何十年も気づかずにいました。

そして、気づいてしまった今となっては、発言するのが怖い怖い。(極端。笑)

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オープンマインドすれば、相手も心を開くものと思い込んでいた

子供の頃の私を思い返すと、小学生の頃は、人見知りしない、ちょっとひょうきんな、でも正義感が強くて男子とケンカすることもあったように思います。

根が真面目な性格なので、相手の心を開くには、まず自分のことを開示するのが良い、という情報をどこかで聞いたか読んだかで、それを素直に実践していました。

時には自分のことを話しすぎてしまうことも多々あったと思います。

それが人と仲良くなるには最善で、自分のことを話せば話すほど、相手は親近感を持ってくれると思い込んでいました。

そして、私は無意識に、相手に見返りとして「仲良くなる」ことを求めていたのです。

その意識が、人間関係のトラブルになる元と気が付かずに・・・。

自己開示は人を選ばないと利用される

子供の頃から、誰からも好かれたい、仲良くなりたい、という思いが強く、その為に、例えていうと、


「私の持っているカードを全部見せたから、あなたのカードも見せて。」


と、相手に同じことを求めていました。

ただただ、早く仲良くなりたい一心で。

でも、結局は自分の思っているようにいくはずもなく、人によっては一枚もカードを見せてもらえない上に利用されてしまった・・・という痛い経験をたくさんしてきました。

似たような人とのトラブルを繰り返すうちに、ようやく、私は人との適正な距離感をつかむのが不得意なのだと気づきました。

人間関係色々あって、うつ病になるくらいどん底を味わった時は、山にでも籠って世捨て人として生きようか・・・と思ったこともありました。

でも結局、「私は人が好きなんだ」というのが早々にわかったのであっさり諦めましたけどネ。笑

中には、そんな私と意気投合して仲良くなってくれた人もいましたが、確率的に言えばだいぶ低いです。

人と仲良くなるには自己開示は必須と思いますが、私のように相手のことをよく知らないうちに、一気に深いところまで心のうちを見せすぎるのは控えた方がいいと思います。

早く仲良くなりたくても焦らず、徐々にお互いのことを分かりあうのがベストだと、頭では理解できるようになりました。

友人の家で見かけた本

人間関係でポツンと孤独を感じた時、たまに見返す本があります。

加島祥造さんの『求めない』 です。

30代の頃、友人宅で手に取ったこの本のフレーズが気になり、あとで購入しました。

その時々で気になるフレーズは変わるのですが、付箋を貼ってるページがあったので、抜粋してご紹介します。

求めない ー

すると

「いま、ここ」のなかにいる。

心は先走らず

己のままでいる

引用:加島祥造 著 求めない

きっとそんな風に「求めない」の心境になれたら、人間関係良好なんだろうな~と思い、自分の心を慰めていたのでした。

繊細気質で人の雰囲気を過敏に察知しすぎる弊害

明るくフレンドリーと言われることが多かった子供時代でしたが、実は大人数で過ごすのが得意ではなく、何とかがんばって取り繕っていました。

でも、結局いつも孤独感を覚えていました。

どんなに仲良しさんができても、長時間一緒にいると、帰宅後にどっと疲れたりして、そんな自分が嫌になることもありましたが、自分がHSP(Highly Sensitive Person/繊細で敏感な人)気質だと知ってからは、納得しました。

だから一人でいる時間が安心なんだなぁ、と思ってきましたが・・・。

でも、本当は人のことが大好きなんです。

HSPとわかってから、気質からくるものだから仕方がないと思いつつ、余計に相手の表情を気にし過ぎるようになったかもしれません。

仲良くなりたい、でもまた嫌われるかもしれない・・・と、今度は逆に、人との距離感がだいぶ遠いものになっていることが多くなりました。

人と繋がるリハビリ。自分に合うコミュニティに属する

自己評価もフレンドリーと思っていた私でしたが、ここ数年で本当は「人見知り」な部分が自分にあるんだと気づきました。

人見知りというよりは、今まで経験してきた人間関係の中で臆病になっている、という感じかもしれません。

自分でも「笑顔で気さくなのが長所」と思っていたので、実際に心の奥にいる小さな傷ついた自分の存在に気付いた時は、意外でした。

自己肯定感が低いのが悩みで、心理学の情報を集めたり、ネットでも色々と探して試せるものは試してきました。

その中で、人との繋がりを持ちたいけど、どうしたらいいかわからない、という悩みに、

自分に合うコミュニティを見つけて所属することで満たされる。

という情報を耳にしました。

最近の私はレイキに興味があるので、レイキ仲間が集うコミュニティに入りました。

主に掲示板でのやり取りが多いのですが、私は過去に掲示板でもトラブルを経験しているので、出来上がっているコミュニティに入っていくのは容易ではありませんでした。

しかし勇気を出して、


「私は人から明るいとかフレンドリーと言われることが多いですが、実は人見知りです。最近は臆病になっていますが、みなさんと交流がしたくて参加しました。どうぞよろしくお願いします。」


と書き込んでみました。

すると、たくさんの温かい人達からメッセージや「いいね」をいただけて、人と気持ちを分かち合えるのは、こんなにも癒しになるのかと、涙が出てきました。

痛い経験で傷だらけの心が、人との関りを怖がっていたので、すっかり忘れていた感覚でした。

自分の心が感じた、このコミュニティなら大丈夫かもしれない、という感覚を信じて本当に良かったです。

まだまだリハビリ中なので、ひょっこりと臆病風が吹くこともあると思いますが、自分が安心して発言できるコミュニティに属せた今、心は軽やかです。

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