HSP(Highly Sensitive Person/繊細で敏感な人)気質の管理人カイカの経験談を元に、人間関係についてのあれこれを語るシリーズ。
今日は、
怒られる=全人格否定に感じてしまう
というお題で書き綴ろうと思います。
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あまり親に怒られた記憶がない子供時代
私は子供の頃からいわゆる「いい子ちゃん」でした。
3人兄妹の末っ子ということもあり、兄達が親に怒られている姿を見て、自分がいかに怒られないですむかということを無意識に学習していました。
学校でも、どちらかと言えば品行方正タイプだったので、学級長に推薦されることが多く、宿題を忘れたり遅刻しない限り (品行方正と言えるのか。笑) は、あまり怒られた記憶がありません。
とはいえ、子供~学生時代に怒られていないなんてあり得ない話ですが、できれだけ回避してきたゆえ、怒られ慣れていない状態で社会人になったのでした。
怒られる免疫がないから打ちのめされていた?
20代前半、コールセンターに就職したものの、あまりのストレスで情緒不安定になりました。
素直に「自分には合いません。」と言えればいいのに、それが恥ずかしくて思いついたのが診断書をもらって会社に提出すること・・・。
そうすれば医者に言われたから辞めることにしました、と言い訳がつくと思ったからです。
病院で診断書を出してもらったものの、 結局、 会社に提出せずに辞めることになりましたが、初めて受診した精神科(当時は今よりも心療内科がありませんでした)で、私は「従順な子供タイプ」と言われたのが印象的でした。
まさしく私の子供時代を一言で表されたかのようでした。
結局、その時の受診は診断書が目的だったので通院しませんでしたが、その時の医師の言葉で「自分にはこういう傾向がある」というのを時々思い出してはいました。
どのように医師がそう判断したかと言うと、私の家族構成、特に兄妹の末っ子というところがポイントだったようです。
兄達の様子を伺いながら、無意識に自分は怒られないようにうまくやっていたので、兄達に比べると確かに叱られる機会は少なかったです。
そんな感じで育った人は、「怒られる」ということに人一倍ストレスを感じてしまうので、クレーム処理が多いコールセンターの業務内容はしんどいのでしょう、と医師に説明を受けたと記憶しています。
そこまでは、医師の言う通りで納得できるものでした。
しかし、例えば夫とちょっとした口論になった時、その内容が私の全人格を否定しているように感じてしまう、ということが結婚当初によくあったことでした。
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極端な思考と気づけたら
他人だと、怒られたとしても自分を押し殺して胸にしまい込むのですが、親や夫など身近な家族だと、「人格を否定された!!」という悲しみから逆上して、とんでもなく感情を爆発させ怒り返してしまうのです。
あとからお互い感情が落ち着いて話し合う時、夫に、
と説明を受けて、
ということを何回も繰り返し、全人格を否定されたわけではなかったんだと理解したのでした。
しかし、今でも夫に限らず、誰かに(特に理不尽に)怒られたと感じると、人格否定された!と思いがちです。
そういう性格をどうにかしたい・・・と思い悩んでいましたが、これがHSPゆえの気質の問題だとしたら、
「私は何て情けない性格なんだろう。」
という考えで自分を咎める必要はない、と気づき、納得できるようになりました。
まとめ
怒られた=全人格否定という極端な思考で生きていると、どの場所・環境にいっても、人間関係に苦しさを感じるのは当然のことです。
誰かがそのような悩みで落ち込んでいるのを見かけたら、
「大丈夫だよ。あなたの人格を否定されたわけではない。」
と声をかけてあげられるのに、こと自分に関しては自己否定の沼に引きずり込まれがちです。
私の場合は、怒られなれていない子供時代の影響もありますが、一番はHSP気質からくる極端な思考のせいだと気づき、メンタル回復は格段に上がりました。
また、
「愛の反対語は無関心」
ということからも、怒ってくれる、叱ってくれるというのも愛情の一つ、だということは冷静な気持ちだと簡単に言えちゃいますが(笑)、その渦中にいる間は難しいですね。
そういうことも含め、気づきがあれば少しずつ自己成長はしているのです。
少しずつ、怒られたときでも、しなやかに流せる心を目指したいものです。
ただ、こういうところは、ちょっと違うんじゃないか、と自分の意見を言っただけだから。