心に残るスクールカウンセラーの言葉:みんな何かしらの発達障害持っているようなもの

インターネットで情報検索が容易になった昨今、よく目にする言葉の一つに発達障害があります。

情報を探す理由としては、生きづらさについて調べるうちに、行きついた人もいるかもしれません。

もしかして私は発達障害かも?とか、家族がそうかもしれない、と思う場面も増えているのではないでしょうか。

かく言う私も、自分自身の悩みや家族も該当するのか?と考えたことがあります。

その度に、友人から聞いた、あるスクールカウンセラーの言葉を思い出し、不安の渦から抜け出せるようになりました。

今回は発達障害について、考え方の一つをご紹介したいと思います。

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発達障害とは

発達障害は大きなくくりで、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)など、生まれつきの特性の総称です。

以前は、自閉症とアスペルガー症候群は分けられていましたが、最近は自閉スペクトラム症に統一されたようです。

脳の一部の機能に先天的な障害があるのが原因とされており、治すというものではなく、その人の特性として、適切な対応をしていくのが治療になるようです。

友人から聞いたベテランスクールカウンセラーの言葉

この話は、私が直接スクールカウンセラーから言われた言葉ではなく、小学校の教諭をしている同級生から聞いた話になります。

その友人は、将来スクールカウンセラーにもなりたいとのことで、実際に尊敬しているスクールカウンセラーの先生についていた時のことだと言っていました。

ある日、友人がそのベテランスクールカウンセラーに聞いた質問が、


「強度の発達障害の人に対応すると、自分の精神が疲弊してしまうことはないのですか?」


というような内容でした。

それに対して、ベテラン先生の返事が、


「人は誰しも、多かれ少なかれ、何かしら発達障害を持っているようなもんだよ。自分だってそうだ。ただ、それが強く出ているかいないかの問題なだけ。だから、強度の発達障害の人も自分も、あまり変わらない人間だと思って接しているから、そんなに疲れることはないかな。」


と仰っていたそうです。


これを聞いて、

あぁ、なるほどな。

と思いました。


人間誰しも何らかの発達障害を抱えている・・・そんな考え方があったのか、と。

友人がその先生からそう言われて心に刺さったように、私もその考え方を採用したら、気持ちがすごく楽になりました。

発達障害もHSPも単なる名称に過ぎない

生きづらさを感じると、原因が知りたくて、何かしら発達障害とかHSP(Highly Sensitive Person/繊細で敏感な人)とか理由を欲しがる傾向が強くなっているように感じます。

私は周りに発達障害グレーゾーンや、がっつり発達障害認定された人もいて、そのあたりの情報に触れる機会が多い方かもしれません。

また私自身は、HSP気質があると認識しています。

一番の目的が、

「生きづらさを改善する」

ということなら、診断されたかどうかは問題ではなく、自分の特性を知ることで対策を知り、生きづらさをカバーできればそれでいいんじゃないか、と思うようになりました。

私は、身内に自らも発達障害認定され、依存症で苦しんでいる人たちのサポートをしている人がいます。

そして、よくお互いの感じる生きづらさについて話しますが、その会話の一つもご紹介します。

そもそも、それぞれ人の特性は一つだけじゃなくて、ADHDも少しあるけど、HSP気質をあわせ持った人もいる。

だから極論、ADHDだろうがアスペだろうがHSPだろうが、なんでもいい、生きづらさを克服できる術があるならね。

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生きづらさを克服するには

もし発達障害と診断を受けたり、HSPかもしれない、とわかったとして、それは生きづらさの原因を知ることができたスタート地点と言えると思います。

補足:
「生きづらさ」というくくりで、HSPのことも書いていますが、発達障害とHSPは違うものです。

しかし原因がわかったところで、今までと変わらず何も対策をしなければ、生きづらさを克服することは難しいでしょう。

重度の発達障害だと、お薬が必要な場合もありますが、軽度またはグレーゾーンと言われる人達は、自分が何にフォーカスするかが鍵になるのでは、と思います。


[発達障害だから○○できない。]


と、最初から否定のみの考えで終わるよりは、


[発達障害の影響で○○が苦手だから、こう対策しよう。]


というように、原因を知ることができたのを手掛かりに、自分にあった生き方を模索する、という風に思えたら、心が少し軽くなれるかもしれません。

まとめ

「人は誰しも何かしら発達障害を抱えているようなもの」

という視点は、友人に話を聞くまで、私にはありませんでした。

言い換えると、便宜上、発達障害と称しているけれど、一人一人がみんな違った特性、感性を持っている中で、それが平均的であったり、突出しているか否かの違いということだと理解しました。

医療として治療法が確立してきている恩恵もありますが、何でもかんでも枠に当てはめ過ぎると、がんじがらめになり、余計に辛くなってしまっては本末転倒です。

私の場合はうつ病で治療を受け、治ったあとも生きづらさを感じてきましたが、HSPの概念を知り救われた部分が大きいものの、たまに「HSPだから」を盾に問題から目を背けそうになることがあります。

しかし、生きづらさ改善が本来の目的であるならば、「その意識の持ち方は違う」と気づき、軌道修正することができつつあります。

なぜなら、HSPを理由として述べたところで、今までのやり方を変えなければ、前進できないとわかったからです。

他にも例えば、


「片付けが苦手なのは、ADHDも入っているのかな?」


と不安になるよりは、


「自分はADHDの要素もあるかもしれないけど、だったら私に合った片づけ法は何か見つけよう。」


と変換すれば、情報のアンテナの張り方も変わってきます。

発達障害という言葉に過敏になるよりも、抱えている生きづらさを少しでも楽にするためのヒントとして受け入れていければ、少しずつ見えてくる景色も変わるのではないかと思いました。

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