レイキ呼吸法とホワイトセージ

5月の上旬、ホワイトセージを焚きながらレイキ呼吸法をしていると、不思議な感覚を体験しました。

おそらく、ほんの数秒のことだったと思いますが、時間の感覚がない世界にいた、という表現になってしまいます。



最近の私にとっての瞑想は、レイキ呼吸法の時間を指しています。

ここでいうレイキ呼吸法というのは、日本伝統式レイキにおける浄心呼吸法と合掌呼吸法です。

簡単に説明すると、レイキに繋がり、


・両手のひらを上に向けて膝に置き呼吸をするのが浄心呼吸法

・合掌した手を、口から吐く息が少しかかるくらいの位置で止めて呼吸をするのが合掌呼吸法


ホワイトセージという言葉をちょくちょく耳にするようになったのは去年の終わり頃で、そういえば友人が販売していることを思い出し購入。

ホワイトセージといえば煙で浄化をするアイテム。

レイキをする前は全然興味がなく、香りを楽しむお香の一種だと思っていました。

ホワイトセージを使うようになって数ヶ月後、天然石にも自然と興味が湧いてくるのですが、この頃はよく、自分自身にもホワイトセージの煙をモクモクとまとわせていました。

そんな中で呼吸法をすると、煙を吸い込んでむせることもたまにありますが(笑)、平和で穏やかな感覚を覚えたので続けていました。


この日もホワイトセージをもくもくとさせ、煙が落ち着いた頃合いで目をつぶりレイキ呼吸法をしていると、頭の中の光がいつも以上に強く強く感じました。

そのうち、頭の中というより、その白い光の中に漂う『私』の意識そのものなっている感覚に陥りました。

肉体の感覚はなく、光そのものに「ある」という感じです。



あぁ、なんて心地良いんだろう。

この穏やかで感情の浮き沈みのない世界。

もうずっと・・・ここに居たい。



ちょうど自己嫌悪に陥っていたタイミングだったので、その平穏そのものでいたいと強く思いました。

もう、こんな感情の浮き沈みを繰り返すより、光の中で穏やかでありたい、と。


でも、すぐにこう思ったのです。


これって、もしかして悟りの境地ってやつかな。

あ・・・でも。

そっか、光の中だったら、

においも手の感覚も味も、

何もかも感じ味わうことができなくなってしまう。

それって・・・。


なんかツマラナイ。



だから、嬉しいことも悲しいことも体験しにきているのか。

そっか・・・。

じゃあ、自分でそう決めたのだからしょうがない。

人間として色々感じ切って楽しもう。



そんな風に受け取ったのです。


目を開けて現実の世界を見まわすと、マンションの火災報知器が反応しないように、換気扇の近くに座っている私。

あれは何だったんだろう・・・と思ったけれど。

これが内なる『私』が教えてくれたことなら、この現実で起こることにいちいち揺さぶられることなく、自分軸で進めば恐れることは何もないのだろうな、と思ったのでした。

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