人生最初で最後のチップ。友人の代理ホステスのバイトは蘇州夜曲の想い出。

自分で言うのもなんだけど、

私は根が真面目だ。

これは、どちらかというと批判的な自己分析。

人からはフレンドリーな印象と

言ってもらえることが多いけれど、

話しを重ねていくうちに、

なんだか融通が利かない、

くそ真面目な印象に変わっていく人もいるのだろう。


「面白みに欠けているよな、私。」


コンプレックスの塊であった。


そんな私が大学生の時、

友人のバイトのピンチヒッターを頼まれ、

引き受けてしまった。


バイト先は、こじんまりとしたスナックだった。

真面目な私にお酒が入ると、

基本的には笑い上戸だが

熱い語り口調になりがち。

そんな私が水商売に向いているはずもない。


しかし、「No」と言えない性格と

友人の押しに負けて、

1日限りのホステス。


「はぁ、気が重いなぁ・・・。」



お店には、おじさんマスターが一人。


「はじめまして。」


挨拶をして、簡単に仕事の流れを聞く。


しばらくすると、

観光客らしきおじさま達のグループが

一組入店された。


初めての仕事、

そしてお酒の場を盛り上げる

気の利いた会話ができない

真面目な性格の私には、

ただ、若さ頼りの笑顔を

絶やさないことしかできなかった。


それに気づいていたのか、

マスターが助け船を出してくれた。


「カラオケどうでしょう?」


おじさま達は、その提案に喜んで乗ってくれた。

上機嫌で歌っているおじさま達。


(カラオケの間は、手拍子だけでいい。良かった・・・。)


そんな風に思っていたら、

一人の方から声をかけられた。


「一緒に歌ってくれないかい?」


歌うのは嫌いじゃない。

でも、この中で歌うのは緊張するなぁ。

しかし断れるはずもなく、

デュエットすることになった。


いくつか曲名の候補が出たが、

私が知らない曲ばかり。


あ・・・一曲だけあった。


蘇州夜曲(そしゅうやきょく)


これは古い歌で、

1940年(昭和15年)の映画「支那の夜」劇中歌として発表された曲だ。

数多くの歌手にカバーされている名曲。


私がこの曲を知ったのは、

CHAGE & ASKAの

ASKAさんのソロアルバム

SCENE」に収録されていたからだ。

私にデュエットを申し込んでくださったお客さまが慣れ親しんだのは、

違う歌手によるものだろう。


「この曲、知っています。」


そう言うと、

お客さまは若い娘が蘇州夜曲を知っていることに

驚いていた様子だったが、

笑顔で、


「この曲にしよう。」


と選曲してくださった。

時々、照れ笑いを見せながら、

肩を組んで一緒に歌った。


歌い終わったあと、

お客さまは少し涙ぐんでこう言った。


「蘇州夜曲はとても好きな曲でね。

私は娘がいるんだけど、

まるで娘と歌っているようで嬉しかったよ。

本当にありがとう。」


そして、私にチップをくださった。

なんだか胸がジーンと熱くなった。


デュエットのお客さまは、帰る時も、


「本当にありがとう。楽しかったよ。」


と、優しい微笑で言ってくださった。


閉店時間になり、

お店を閉めたあと、


(そういえばチップもらったらどうするか聞いていなかった。)


と思い、マスターに伝えてお金を渡した。

マスターは、


「これは、あんたのものだよ。

お客さまが、あんただからあげたいという

お気持ちで渡してくださったんだ。

喜んで受け取りなさい。」


そう言って、全額私に返した。


後日、ピンチヒッターを頼んだ友人から、


「ねぇ、マスターから、

また来てよ。

って言われたよ。

一緒にやろうよ!」


と言われた。


「ごめん、親にさ、夜のバイトはダメって言われたんだよね。」


実際に親から言われたことだけど。

本当は、気疲れしまくりで、


「1日だけでもういい、勘弁してくれ。」


というのが本音だ。

「No」と言いにくい私は、

全面的に親のせいにして断った。


こうして、あのチップは、

人生最初で最後のものとなった。


あれから20年余り。

時折、あの涙ぐんだお客さまのことを想い出す。

あんな不器用な私の接客に、

心からのありがとうを言ってくださった。

今でも想い出すと、

心があったかくなる。


当時のお客さまと娘さんの関係性が

どうだったのか知る由もないけれど、

どうか、あの優しい眼差しの先に、

幸せが映っていますように。


ASKA 「蘇州夜曲」収録アルバム: SCENE

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