おばの手編みのセレモニードレス

今年6月、

全身にがんが転移し、

何年も闘病していた叔母が

永眠した。


ホスピスに入ったと聞いて

気になっていたけれど、

新型コロナの影響で

お見舞いに行くことは

叶わなかった。


いとこが、涙ながらに

病室での叔母の様子を

話してくれた。


「少し息苦しそうにはしていたけど、

痛いと言うことはなかったのが救いだよ。」


最後のお別れの時も、

がんで亡くなったのが嘘のように

穏やかな顔だった。


母の妹である叔母の若い頃は、

やさぐれて

褒められたものではなく、

祖母泣かせだった。


私が幼い頃の叔母の記憶は、

強烈なお酒と煙草のかおり。

そして、恐いイメージが浮かぶ。


手先が器用な叔母に、

編み物を習った時は、


「あんたは本当、ぶきっちょだね!」


と怒鳴られて、

1回で習うのをやめた。


大好きな祖母に

心配をかける叔母の行動に、

子供ながら

酷いと思っていた時期もあった。


そんな叔母も

伴侶を得てからは、

だいぶ落ち着いた。


私が結婚した頃には、

既にがんの転移を

繰り返していた。

治療は効いていたのか、

最初の再発を告げられてから

10年以上は自分で通院していた。


病気のこともあるだろうが、

歳を重ねるごとに

丸くなってきた叔母。

姉である私の母にも

子供の頃から

反発心を向けていたらしいが、

晩年は、

会いに来ることが増えていた。


私が臨月に入ると、

生まれてくる子供のために

叔母が白いニットの

セレモニードレスを

手編みで作ってくれた。

嬉しかった。


産院から退院のときは、

サイズが大きくて

ぶかぶかだったけど、

息子に着せた。


産後の肥立ちが悪かった私に、

何度も料理を作りに来てくれた。


息子のことを、

まるで孫のように

かわいがってくれた。


息子が生まれた年の母の日は、

叔母にもお花を届けたが

すっかり涙もろくなった叔母は、

ボロボロ泣いた。


不良のおばちゃんの

イメージが強いけど、

本当は繊細で

優しいところもあって、

人一倍、

愛情に飢えていたのだろうと思う。


棺の中の叔母は、

自分で縫った着物をつけて

お化粧をしてもらい

とてもきれいだった。


ガンでこれ以上、

治療することはないと言われた

と聞いたときは、

勝手に痛みや辛さを想像して

心を痛めていたけれど、

穏やかな顔の叔母を見ると、

寂しいけれど、

安心した。


「おばちゃん、きれいだね。

向こうでは、

おばあちゃんと仲良く過ごしてよ。

ありがとう。

バイバイ。」

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