邂逅のきみ

大人になったきみは

どんな青年になっているだろう。

お母さんは元気かな?


きみが小さいころ、

私の甥や姪よりも

たくさん写真を撮らせてくれたんだ。


きみと走り回って

大笑いしながら撮った写真は、

カメラの設定を間違えて

ずいぶん白トビしていた。


「せっかく良い表情だったのに。」


内心がっかりしていた私に、

きみのお母さんは、


「たとえピンボケしてたって、

どんな写真でも

母親というのは

子供の写真をもらえるのが

嬉しいもんなんだ。

この白っぽい感じが

ふんわりした雰囲気で

味があっていいじゃん。

これは自分にとって宝物だよ。

ありがとう。」


真剣にそう言ってくれた。

どんなに勇気づけられただろう。

私が今でも写真を好きでいられる

大切な言葉なんだ。


自己肯定感の低い私に、


「お前、顔が良いんだから

もっと自信をもて。」


口は悪かったけど、

真剣にそんなことを言ってくれたのは、

きみのお母さんが初めてだった。

容姿にも自信がなかった私が

少しはおしゃれしてみようかと思えたり、

笑顔にもコンプレックスを感じてたけど、

褒めてくれたお母さんに救われたんだ。


自分にも人にも厳しいお母さんは、

人情味のある優しさがあり、

いつも人に頼られていた。


ただ、きみには特に厳しかった。

まだまだ甘えたい盛りでも、

容赦ないお母さんの言葉に

大泣きするきみの姿もよく見た。


ちょっと厳しすぎない?

と伝えた私に、


「自分がいつ居なくなっても

この子が一人で生きていくために、

強い男に育てないといけない。

だから自分の子育てに

口出ししないで欲しい。」


そう言われて、口をつぐんだ。


あの白トビの写真から1年あまり。

きみはあどけない表情から、

大人びた顔つきになっていた。


あの時の写真のきみとは違う

どこか寂しげな表情は

私の胸にチクっと棘を残した。


きみたちに会わなくなって、

随分と時が過ぎたけれど、

私は変わらず

「元気かな?」

と想い出にひたるんだ。


たんぽぽの綿毛を差し出した

きみの写真が気に入っていて、

息子が同じ年頃に撮ってみた。


そこに居るのは私の息子だけど、

きみが重なるのは、

それだけ特別な時間を過ごしたということ。


いつかきみと邂逅できる日があれば

私は気づけるだろうか。

きみは私を覚えてくれているだろうか。


ひっそり、きみとお母さんの

幸せを願っている。

それだけで十分なのかもしれない。

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