ここのところ、やろう!と目標を立てていることがなかなか上手くできない自分にイライラ・・・。
何をしていても心ここにあらずで、その根底にあるものは何だろう?と考えてみました。
そして気づいたのが、通院中の母の転院手配やそれに伴う手続きに思っていたよりも労力を要していること、そして二人目不妊治療の通院でいっぱいいっぱいになっている自分でした。
母は程度は軽いものの、介護保険のお世話になっているので、今後のことも色々考え込んでしまうこともあります。
夫と出逢えて結婚できたのは本当に良かったですが、晩婚故に高齢出産だったため、まだ小さい子供を育てながら、親の介護の心配も現実として出てきます。
自分の気持ちを整理するためにも、問題点を書き綴ってみます。
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老老介護の両親をできるだけサポートしたい。でも理想通りにはできない。
まだ老老介護と表現するには大げさかもしれませんが、実際、母は昔のように家事はできなくなりました。その代わりに、父が食事の支度をするようになり、仕事人間だったのが嘘のように母のことをするようになりました。
しかし、実は父の方が持病が多く、体の状態としては良好とは言えません。一時、アルツハイマーの極めて初期段階、と言われたことがあったのですが、趣味やボランティア等で忙しいのが良い脳トレーニングになっているようで、数年前より今の方が脳の状態が良いとの検査結果が出ました。また、母のお世話をすることで、料理なども脳トレになっているかもしれません。
母は、躁うつ病と診断されてから、鬱状態になった時に、当時の主治医が寝たきりを心配し、デイケアを受けた方がいいと勧められ、介護保険のお世話になるようになりました。
鬱状態で寝たきりが多かったのが悪循環となり、痛めていた膝や腰はあっという間に悪化してしまいました。
安全運転だったのも、軽い追突など危なっかしくなってきたので、通院の時は父か私が連れて行くようになりました。
病院に付き添うようになって、当初は毎週顔を出してお薬のセットや、他にも家事など手伝いをしていましたが、だんだんと子育てと仕事疲れも出てきて億劫に感じることが多くなってきました。
PMS(月経前症候群)の時期とかは、すごく義務感に襲われたり、余裕がなくて子供にキツイ言い方をして自己嫌悪になったりもあったので、まずは自分の家庭をしっかりさせてからにしよう、と頻度を減らしています。
しかしそうなると、父の負担が大きくなってきます。というより、父も忙しいので、母だけに時間を使うことはできません。そうなると、母が一人家にいて、テレビを見ながらウトウト寝てしまう・・・というような生活リズムが続くこともあります。残念ながら、母は特にこれといった趣味はないので、テレビを見て過ごすことが多いです。ここで気になるのは、こんな生活を続けていたら将来、認知症になってしまわないか・・・と考えてしまいます。
母が元気な頃は、よく買物に行ったり、ドライブがてら美味しいものを食べに出かけたりしていました。以前のように、本当はもっと顔を出して、おしゃべりをしたり、気持ちが乗れば外出に連れて行ったりするのが理想なのですが、二人目妊活を始めてからは、その時間をあまり作れずにいます。
二人目が欲しいと思えるようになった時、40代。
初産のあと、思うように体調が回復せず、産後2ヶ月で甲状腺機能亢進症になり、その後、2年連続でウイルス性髄膜炎(無菌性髄膜炎)で入院したりと、体力に自信を持てなくなりました。
1才になるのをきっかけに、仕事復帰し、体調崩さないことを念頭に置いて子育てしていますが、2才頃までは付きっ切りでお世話することが多いので気持ちの余裕がありませんでした。
それが3才になると、お着替えやトイレもちゃんとできるし、食事も自分で食べるようになり、付きっ切りが減ったので体力の消耗を以前ほど感じなくなりました。夫婦ほぼ同じタイミングで「二人目欲しいなぁ。」と思うようになったのは、40才を過ぎてのことでした。
妊活再開させることを決めてから、以前お世話になった不妊治療の病院に行くまでに時間はかかりませんでした。
最初は妊活期間を決めていたので、本当なら今は既に卒業しているつもりでした。しかし、その間に一度だけ妊娠反応があり、結局胎嚢確認する前にお空に帰ってしまったのですが、この経験で諦めることができずに期限を延ばしました。
初めての体外受精に向けて体作りをしている時期でもあるので、なるべく早めの睡眠を心がけようと、子供を寝かしつけながら一緒に眠っているのですが、早寝遅起きになっています。(-“-) 早起きしたいのにできないヨー。
結局色々やりたいことをする時間を作れていない自分にイライラしてしまっているんですね・・・。
しかし、子供を授かれるのにはリミットがあります。
結果がどうあれ、後悔することがないように、無理して体を壊すようなことはせず、今の自分にできることを一つずつやっていくことが大事だな、と思います。
ひとまず、体外受精に向けて動いているので、少しは前向きな気持ちが復活しつつあります。結果次第で、また気持ちの変化はあると思います。
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転院先で母の病名が変わるかもしれない。期待と不安。
転院するにあたり、いくつか病院を実際に行ってみて、母にあった病院を決めたいと思っています。
二つ候補があり、とりあえず両方の予約を抑えて、最初の病院に先日行ってきました。
この病院はまず、医師の診察の前に心理カウンセラーの方がみっちり問診してくださいます。そして後日、先生に診察してもらうことになっているのですが、カウンセラーの方が少し見解を述べていたのが気になっています。
現在、躁うつ病の診断が出ているのですが、今までの経緯を聞き、問診をした中では、その診断にクエスチョンマークがつくと仰いました。
躁うつ病は完治はないと言われているので、もし違うのであればいいな、と思う気持ちもありますが、では何が問題かというと「脳」の状態が気になるというようなことも仰っていました。
私が心配している認知症・・・という病名が、頭の中でちらつくのです。
もしその診断が出たらどうしよう・・・。お父さんだけに負担をかけている状態では、悪化が早まってしまうのではないか・・・。やはり私がもっと今以上に協力するべきなんじゃないか。
いくら頭の中で考えたって答えが出ないのはわかっているのですが、心ここにあらずの原因は、このことが頭の中で堂々巡りになっているのもあるんだなぁと思います。
来週、先生の診察があり、家族向けの問診票を渡されているので、悶々とするよりは、しっかり不安点や気になるところを書いて提出します。
まとめ
色々頭の中で考え込むのが癖なのですが、一つはっきり言えるのは、どんなに大変でも、親孝行する時間を与えてもらえていることに感謝です。
夫の両親は既に他界しています。親孝行をしたくてもできません。だからこそ、夫からの私の両親に対する思いやりの言葉や行動は、心からありがたく、感謝しています。
私のように晩婚が故に、高齢出産で子育てをしつつ、親の介護も必要になってくることは、今後増えていくのだと思います。
自身の体調の変化も大きく感じる40代ですが、まずは現実的に自分ができることを把握して、一つ一つ動いていく。これを胸に刻んで、親と、子供と、夫と自分に向き合っていこうと思います。